耐震神話

9月1日になると、旧帝国ホテル(フランク・ロイド・ライト設計)のネタが飛来する。工事中旧館は度々火災に見舞われ、現場では工期と工費を大幅にオーバーし、発注者と設計者はクビになり、後任とその弟子によりなんとか竣工の運びとなるのだが、その落成式を大地震関東大震災)が襲うことになろうとは、まったく呪われたような事業であった帝国ホテルの新館(二代目)建設。
しかし建物は無事であった。そのときロサンゼルスにいたライトに支配人大倉から電報を受け取る。「ホテルはあなたの天才の記念碑として損傷なく立ち、罹災者数百人を完全に維持された設備により介護。祝す。大倉、帝国ホテル。」と彼は自伝に残している。だが、この電報は彼が直接大倉から受け取ったものではなく、ウィスコンシンのタリアセン(彼のアトリエ)から受け取ったものである。・・・ここに作為を感じ取れるのだ。不毛の時代だった彼は業績を美化するために、「地震国の事態を予見して耐震設計をした慧眼の建築家」というストーリーを自作自演した。と思われるのである。
実際、ホテルは目立った損傷はなかったものの地下のプールは亀裂が入り、使われることはなかった。また浮き基礎や大谷石など仕様の不具から新館の寿命は半世紀にも満たなかった。船出以前から燻った記念碑は姿を消し、被災後の「伝記」だけが残ったという訳だ。(三代目の現物にはこのような歴史は全く見えてこない。
(現在「明治村」に一部が移築保存されているが、日比谷公園前に建っていた雄姿、見たかったな〜