黒いトランク

「この事件の発端となった1949年12月10日は、朝からどんよりうす曇ってひどくうっとうしい日であった。だが後から考えてみると、この重苦しい空気こそ、事件の性格を端的に象徴していたように思われるのである。まことにこの事件は地味で、退屈な上にテンポが遅く、しかもその全貌が明らかになるにつれ、首尾をつらぬく論理の厳しさがやり切れぬ程の重圧を伴って、関係者をひとかたならず悩ませたのであった。」
の序文から始まる「いかにもな」本格ミステリ。作家中川透が「鮎川哲也」の名で講談社書下ろし長編探偵小説全集の懸賞に投じた、実質的デビュー作。ノスタルジックで色あせたような回想から始まるこの物語りは、「乱歩や横溝」風なおどろおどろしい世界にス〜っと引き込まれてゆく。「駅にたどり着くトランク」の幕開きは、事件の始まりではなかったのだ。時刻表の駆使や、旅情を誘う情景描写がいつしか読者を「乗りテツ」にさせてゆくのである。「時刻表を添付したミステリ」の先駆者が放つ、トラベルミステリーの原点。
(経済性を優先し、「奇行な運行(ミステリのネタ路線)」が廃止になってゆくのは淋しいすね。