早くも続きです

そうそう、最後のバス移動を終え、またホーチミンへ着いたんですよね。(ゴック・ディエン・ホテル)
ベトナムらしいミニホテルです。部屋は窮屈な「角型螺旋状の階段」を上った3階でした。しかし、「通りから入った側」に位置するため、「景色といえば隣のビルの裏方ばかりで落ち着きます(・・。)」天井には大きなファンが勢いよく回っていて、(結局操作が出来なかった)到着時の身体には最大のおもてなしです。(AC、ホットシャワー付15$)ベトナムですのでパスポートを預けてのチェックイン。(だから「宿帳記入」の必要がないのです。
あと15分で15時です。そろそろお昼にしましょう。既に空腹時を過ぎていますので、あまり迷わず「無難なところ」にします。「チャンフンダオ通り」と「グエンタイホック通り」(・・・、戦後に改名された「北寄り」の名前だろうか、長い名が多い)の交差点にある「ロッテリア」に入ってみます。(たぶんインドみたいな特殊なメニューはないでしょうが)街中には必ずあるファストフードですし、世界中どこでもカウンター上の指差しでOKですので疲れ始めた体には向いています。
「グリルチキンのバリューセットを」、「55,000VND」、ドン札がなかったので「ハウマッチダラ?」(隣の先輩風女性が計算してくれ)3$でした。(ファストフードは決して安くない)特に「地方色」はなく、見た目も日本のものと全く変わりません。(インドと違ってこの国は何でも食べますからね)2階へ上がって「交差点」を眺めながら頂きます。ここはホーチミンの象徴、「電線の束とバイクの渦」が同時に見られるので、観光客にはなかなかの景勝地です。
・・・話は少し遡りますが、じつはこの辺りに宿を構えたのは、近くに「ヤンシン市場」というミリタリーグッズ(マニア垂涎の品揃え「歩き方」より)を扱った商店街があったからです。初日に雨で靴をお釈迦にしてしまったこともありますが、元々「軍靴購入」も目的でホーチミンへ来たようなものです。決して「リセの学生」が目的ではありません。(アオザイなんか着てません)・・・。しかし、全て宛てが外れました。時計やライターなどは確かにマニア好みのものもありましたが、「靴」はカンボジア製の「類似品もどき」ばかりで「従軍記者が取材前に資材の調達に立ち寄った店であった」などというのも全くの「昔話(兵どもの夢の〜)」のようです。(またもや無念)・・・「ワークマン程度」の長靴でした。
潔く「靴の調達」は諦め、日本までサンダルで帰る決意をしました。(そんな意気込まなくても中国人など皆ジャージにサンダルで海外旅行ですよ)その代わり今日までに持参したTシャツを使いきってしまったので、(洗濯しろ)明日(帰国日)のTシャツを調達することにしました。何でもよいのですが、通りを冷やかしていると「先程のロッテリアから見た電線の束柄!」Tシャツを発見しました。まさに「ホーチミンなう」の如く土産物丸出しのTシャツですが、「地味な新柄」なのでつい購入してしまいました。(・・初の私物へ公的資金投入です。
(必要経費で落ちますかね。