知層として・・

無性に活字を読みたくなるときがある・・・。
島田荘司氏の短編(追憶のカシュガル)の中に、戦争末期。日本軍が計画した富号作戦(風船爆弾)の話がでてくる。和紙をこんにゃくのりで貼り合せ、苛性ソーダで防水処理した紙風船爆弾を米国まで飛ばしたという例のやつ。当時のアメリカ人は「ジェット気流」というものを知らなかったので、「日本から来た」ことが信じられず、その能力(第二次大戦中では最も長距離を移動した兵器で、細菌などの使用が考えられたため)に恐怖し、市民のパニックを恐れ、情報を闇に葬った。それゆえ効果の程が知られず、日本側も「作戦失敗」と判断を下した。しかし事実は西海岸が唯一の雨期に当ったために、そのほとんどが届かなかっただけであり、僅かに届いたものは「結果」を出している。つまり日本は米国の雨期を知らなかった訳で、戦争とはまさにお互いの「無知ゆえの愚行」と云えそうです。
高度を保つために捨ててゆく「砂袋」の中に入りこんだ「曼珠沙華の球根」が、西海岸の一角に「赤の群生」を根付かせたというロマンはフィクションでしょうか・・・。雨期だったことが植物の輸送には適していたという事実。「葉見ず花見ず」というこの奇妙な植物は朝鮮から日本へ持ち込まれ、爆弾としてアメリカへ渡ったのでしょうか?
(その世界に入り込んでしまうところが「本」の良いところです。