クルアーンを聞きながら

聖書の読みはすでに滞っています。(・・・。三日坊主でした。
何となくファンタジーと解釈していたが、今のところは戒めばかりでとても神の言葉とは思えない独裁的な下しがつづられている。しかも偶像崇拝も禁じている。いつからキリストやマリア様の前で拝むようになったのだろうか。これではアラーの他に神なしと同じではないか。キリスト教イスラームも元を正せば同じところから伝播していったことがよく分かる。まだまだ辞書は始まったばかりだが、どこまで読めば教えとして理解できるのだろうか。そもそも聖書とは何教の経典でしょうか。旧約がユダヤ教で新約がキリスト教?ではカトリックプロテスタントは同じものを使うの?・・・・。旧約聖書は主からの言葉をモーゼによって伝えているところはやはりユダヤ教なのだろうが。つまり普段目にする教会はキリスト教系であってユダヤ教ではない訳ですね。聖地もこの3教はともに同じエルサレムときている。教えなどそれぞれ受け取り方と伝え方によってわるもの。人類は誕生のときからNo,1になりたい訳だから世に争いが絶えないのは当然である。神が人をそのように創ったのだから・・。
(序盤で分かったのはこのくらい。。