七七日

今日は先月亡くなった祖母の納骨と四十九日の法要だった。とはいえまだ一月程しかたっていない。じつはこの辺りの習わしやら風習なのか定かではないが「三月跨ぎ(みつきまたぎ)」を嫌うらしい。三月中に亡くなった場合五月まで四十九日を伸ばすなということらしい。ところが菩提寺に聞いてみても仏教ではそのような決まり事はないそうなのだ。でも何となく想像はつく。本当にしぐ(死ぬ)日を49日としたり、死にたくなる程の厄介事や初老の始まりの年を厄年として42歳としたりするのと同じ、日本人の好きな語呂合わせに過ぎないこと。つまり「始終苦」と「身付き」(始終苦しみが身に付く)という語呂を嫌った訳でしょう。(・・・。)
仏教では七回目の七日までは天界へ行くまでの準備期間としているが、さすれば49日間はゆっくり迎えてさせてあげることが正しいことに思う。いつからか言葉が一人歩きし、法要を早めて行うようになったのは誰かがその月忙しかったのでしょうかね。占い師さんやその手の方は忌み事をつくっては、その改善策を提案するのが好きですから・・。
(でも四十九日を七七日と表すなんてのはスマートですかね・・。