書に救われることもある

口下手がゆえに在らぬ疑いや、いらぬ誤解を招くことがある。これは性格や性分だからと簡単に諦められないのがこの商売・・。(どんな場合でも対人とは難しいものだが、
過去を考えても「始め良ければ終わり良し」が成され難く、仲良し友の旅も長くなるとズレが生じるの如く、設計から工事完成までの長い付き合いとなる中で、「始まり良くも後味悪し」となること少なくはなかった・・。
その要因の一つに、完成度に対する許容範囲の違いがある。これは人それぞれが持つ価値観の違いからくるゆえに難しい。「隙間なく完璧を望む」方が多いが、本来地球という生ものの上に建てる建築というものは、動くもので「遊び」があって丁度よい。たしかに職人技を用いれば「納まり美の追求」は存在する。しかし生ものと考えればある程度ラフさがあってこそ後味は良いことに繋がるもの。新車より乗り慣らした車のほうが気軽に乗れるのに似ている。全てのものは時間と共に変化(退化)するものゆえ、長期的価値を含めた後の姿をイメージしたいもの。言い訳にもなりますが、ものづくりという人の手跡が見えるくらいの仕上げに価値を見てしまうのです。
〜「僕の経験から言うと、施主って建築家のアイディアに「ああ、いいですね」と言ってくれるんです。でも、実際に家が出来上がって住み始めると、やっぱりこれはあまりにも建築家の言うことを聞き過ぎてしまった、ということに気付く。だから、あるときを境に人間関係ががらりと変わってしまうんです。(笑)」
(このある著名な建築家の言葉を知り、大御所でさえ「後味悪し」を経験していることを知ったのだった。