誕生日

広島に原爆が投下された日を記念日と呼ぶのもなんだが、その記念日に生を受けた。
祖父が元軍人、父も元自衛隊員(だった)という家に生まれた環境なのか、昔から戦争をモチーフにした世界が嫌いではなかった。そんな訳で僕も少々右寄りなのかもしれない。精神的にも堅物で、ブカブカズルズルのトロそうな輩など、アフガニスタンへ送り込んで鍛え直した方が良いと少なからず思うが(問題発言)、他人のことなど気にしないタイプでもある。
映像で見る戦前の世界は不幸と映るかもしれないが、今よりずっと小さなものに喜びを感じていたようにも見える。現在のこの国は裕福でないと不幸と捉えられる社会だが、貧国と呼ばれる国の元気な人々の生活を目にすると、決して裕福が幸福の基準ではないことが分かる。戦前の我が国もそうだったはずだ。なぜお金持ちになりたいのか。便利な生活をしたいのか。(だんだん脱線してきたぞ)いくらお金を貯めても財産を築いても、全てを捨て身一つで人はこの世を去ってゆくだけなのに。足ること知らぬのは人の性かもしれないが、この儚い浮き世、己の器を超えない生き方をしたいもの。(子供にまでスマホを持たせる生活をしながらお金がないとは何事ぞ。
まだまだ羨んだ心の響きが見え隠れするが、今日くらいは生んでくれた母様に感謝することです。
(いつかの記念日、平和記念公園で朝を迎えたい。